2014/02/25

港区渋谷区杉並区

 地方出身の人なら大抵の人は10代の頃同じ気持ちだったと思いますが、東京は大都会でとてつもなく格好良くて、計り知れない夢の街でした。私は静岡の東部出身なので、実際ほんとは距離的にはそれほど遠くなかったのですが、精神的な部分での距離感がすごかった。

 高校生の私は、当たり前のように大学入学で東京に出るつもりだったのに、何故か全く上手くいかず、住むことをイメージしたことも無かった北陸の大学に行くことになりました。
  さあやっと卒業だという段になったら何故か全く就職活動も上手くいかず、ああ、こうやって絵が上手いだ天才だ、美大出ただの才能がどうだの言っていても、人は普通の人になっていくんだなとしんみりして、最後の最後でやっぱりもう少し「変わった人」になりたくて私はロンドンに行くことにしました。

 まるまる3年、お金がなかったので日本に帰ることができず、帰国してとても久しぶりに日本の東京に降り立ったら、500円玉の大きさが変わっていました。 TOKIOの長瀬君が少し大人になっていて、欽ちゃんが3年前より老けていました。日本の人は皆とても小綺麗で、私はロンドンに居た時は平気だったのに、自分が着ている古着のカーディガンの袖口の穴が気になりました。


 
 帰国してすぐ、どういう訳か立派な会社に就職が決まりました。ああ、これで人生がやっと上手く行くんだ、と 私は初めて、将来の不安でいっぱいだった毎日から逃れる事ができました。でも毎日失敗しても失敗しなくても怒られるし、何かの為になるとも思えないような雑用ばかりで、居る必要もないのに残業させられ、ああ私は何をやっているのだろう、と思いながら廊下の窓から港区海岸の、東京のキラキラした夜景を見て、

(でも私は東京でデザイナーをやっている)

と何度も思いました。

 
 転職した次の会社は、びっくりするくらい私を自由にしてくれて、しばらくすると私はその自由が本当の自由ではないことにとても疲れてきました。自由に何でも作れでも一人で、自由にやれでも売れないとだめだよ、毎週月曜の朝の会議でのだんだん下がっていく自分のブランドの売上報告がつらくて、そして会社の誰一人その下がり続ける売上に対して何も言わないのが怖くて、でもそう簡単に辞めることもできないし、辞める理由なんてあるの?

(だって私は東京の渋谷でデザイナーをやっているんだよ)

と何回も何回も思いました。 大きな窓から見える渋谷の空を見ながら、私はなりたかったデザイナーにはなれたんだからこれでいいんだ、自分の事を過信していたけど、こんなもんだったんだな、とまるで老年のように諦め、この先もずっとずっと続くであろう年4回の展示会に振り回され、作れと言われている型数をこなすために悩み、ロボットのように仕様書を書く日々を憂いていました。



会社を辞めて何年も経ち、会社勤めも会社勤めじゃない生活もどちらも大変だなと思っています。
今でもちゃんと会社勤めできるような気もするし、仲間がいるのは羨ましい。

だけど私はやっと、(私は東京でデザイナーをやっている)と自分に言い聞かせなくても、窓の向こうを見てため息をつかなくても、毎日を過ごせるようになりました。